
1976年8月8日、全ての障害者の自立と解放を目指して、全国障害者解放運動連絡会議(全障連)が結成されました。場所は大阪市立大学、写真はその結成大会の様子です。左側通路には車いすの障害者たちが見え、会場全体が参加者で埋め尽くされており、全障連の結成が多くの人たちの期待によって迎えられたものであったことが伝わってきます。
壇上には、机の前に貼り出された「全国代表幹事」の文字が見えます。初代代表幹事には横塚晃一さんが就任するのですが、全国青い芝の会総連合会の初代会長を務めた人でもありました。障害者解放運動の歴史に大きな足跡を残した青い芝の会ですが、青い芝の運動を全国に牽引していく中心人物の一人が横塚さんでした。
ところで、全障連の結成は、大阪において取り組まれた第8養護学校建設阻止闘争で、関西青い芝の会連合会と関西「障害者」解放委員会が共闘したことがきっかけとなりました。この両者と埼玉で活動をしていた八木下浩一さんが中心となり、全国的な視野をもった運動体の連絡組織をつくろうと準備が重ねられ、結成へとつながっていくのです。
さて、もう一度壇上に目を戻すと、4本の垂れ幕があるのがわかります。
右端の垂れ幕は文字が切れていますが、「障害者差別」と書かれています。「障害の克服ではなく、障害者差別からの解放を」という全障連のスローガンは、この運動体が何を目的としたのかを最も端的に言い表しています。障害の軽減・克服が求められることを拒否し、社会に存在する障害者差別こそ問題であり、私たちはありのままの障害者として生きていく、とした全障連の主張には大きなインパクトがありました。
その隣の垂れ幕には「自立と解放を勝ち取」とあるのが分かります。障害者差別の撤廃と障害者運動の主人公になることを求めた全障連にとって、この「自立と解放」は大きなキーワードとなっていきました。
次に左側の垂れ幕ですが、それぞれ「別裁判糾弾」「学校義務」の文字が見えます。これは、結成大会の特別決議としても採択され、全障連運動の統一課題として取り組まれることにもなる「赤堀差別裁判糾弾闘争」「養護学校義務化阻止闘争」を指しています。精神障害者である赤堀政夫さんが逮捕された島田事件(1954年/1989年に無罪判決)では、その背景にある精神障害者差別の問題を問い、養護学校義務化に対しては、障害児と健常児が共生・共育していくことの意味を社会に投げかけていきました。
現在、全国各地では自立生活センターなど、障害者自身によって担われている数々のグループや活動がありますが、その源流の一つが全障連の活動にあったと言えるでしょう。